卒業
目覚めて、雪が降っていることに気付いた。
二月の最終日。うるう年ではないからやたら短く感じた月が終わりを迎え、三月。
…受験だ。
考えてとたんに気が重くなり、もう一度布団に潜り込む。田舎だからそう過酷ではないとはいえ、中学三年生の肩にのしかかる受験のプレッシャーは並大抵ではなかった。
何だか、頭がずきずきする。
公立入試まで、あと、一週間ほどしかない。
何だかひどく、疲れていた。
無理矢理叩き起こされて学校に行くと、教室内はどこか浮き足立って見えた。推薦入試で進路が決定した人、私立専願の人は既に全てが終わり、公立受験者は一週間後に控えた本番にぴりぴりしている。そんな奇妙な高揚感。
それに疲れを感じて、席に着いて臥せっていると頭をたたかれた。
「何朝から寝てるんだ?」
「…疲れてんのよ」
顔を上げると、見慣れた面立ちが苦笑している。腐れ縁に近い仲は、既に小学校以前から来てもう10年近くになろうとしていた。
「勉強のし過ぎで寝不足か?」
「…そうならまだ救いようがあるんだけどね…」
「だろうなぁ」
勉強しない受験生、もともと成績は悪くなかったからそう神経質になる必要もないのだろうが、そこは性格である。ついに頭痛にまで悩まされるようになり、最近の苛々は更に酷かった。
「まぁ、お前なら大丈夫だよ」
笑って言う彼を憎らしく思いながら、それでもなんとなく安心している自分が居た。
もう受験も近いという事で、受験教科のほとんどは復習になっていて、逆にまだ範囲が終わっていない教科では詰め込むように新しい知識が与えられて、休み時間もやっぱり教室はぎこちなく、それら全てが私の頭痛を酷くする。
やっと授業を終えて、私は鞄にものを詰め込むより先に机に突っ伏する。
でも頭痛は和らいではくれない。
「何、まだ頭痛いのか?」
「・・・まぁね。」
突っ伏している私と視線を合わせるためか、彼はしゃがみ込んでいて、ほとんど机と同じ高さに頭がある。
「なんか薬飲めば?そうじゃなかったら医者に行くとか。」
彼の言葉は、心から私を心配してくれているもの。
わずかに、頭痛が和らいだ気がした。
「薬は嫌い。この時期に医者行ったら、風邪貰っちゃうじゃない。」
自分の可愛げのない返答で、また頭痛はぶり返す。
「変わってねぇの。薬が嫌いって。」
そんな返答にさえ笑って返してくれる。
彼は、優しいんだなと常々思う。
「あのねぇ、私なんかにかまうんなら、勉強するか、もっと他の子に話し掛ければ?他の子に。」
重い頭を上げて、机の中から教科書を取り出していく。
『他の子』を敢えて強調すると、彼の顔が見る間に赤くなるのが判った。
「何言ってんだよっ。」
適当に鞄にものを放り込んで、使い古された肩紐を握る。
「・・・きっと、図書館で勉強してるよ。じゃあね。帰る。」
優しい彼は、私をきっと引きとめようとしているだろう。
けれども私は、彼を見ずに教室を出た。
優しい彼は、どの高校へ行くのだろう。
私は、未だそんな事すら訊けないままで居た。
帰りには、嫌いな薬を買って帰ろう。
頭痛が酷くなった気がする。
まだ冬の明けない、しかも風の強い日で。
それでも学校の屋上は、由美の一番のお気に入りの場所だった。
「寒くないのか?」
声がして振り向くと、いつからだろう、明が立っていた。
「だって・・・頭痛くなるのよ、教室。」
空気の悪さだけじゃ、ない。
早々に進路を決めたクラスメイトの、微かに感じる優越感とか。
教室の間に流れる、緊張感とか。
最近やたら厳しい、先生達とか。
「頭痛いよ・・・ったく。」
そう言うと、明は微かにふっと笑って、手に持っていたコートを差し出した。
「気持ちは分からなくもないけどな。風邪引くぞ。」
「・・・・ありがと。」
由美は有り難くコートを受け取る。・・・寒いことは確かだったのだ。
「―――あーあ。」
明はそう言うと、由美の脇の手すりに手を架ける。
「どしたんよ?優等生。」
明がため息をつくのは珍しい。
「優等生言うな。や・・・卒業したら由美ともう遊べないんだなーー・・・」
そういう明の言葉に、由美は少し驚く。
「まあ・・・そうね。」
「寂しいなー・・・」
「・・・・寂しいね。」
「つかさー由美、俺行く学校お前もこいって。」
その言葉に由美は少し考えて、答える。
「・・・明ってそういえば志望どこなの?」
「ん?N高。」
その名前は、有名な進学校。明はそんなに頭良かったっけと、由美は今更だが驚く。しかし。
「・・・・・・・・・そこって男子校よね・・・?」
「・・・あ、そうか。」
その答えで、明が本気で自分を誘っていたのだと知って。
「ばあか・・・。」
言いながら笑いが込み上げてきて。
明も同じで、笑いが止まらないみたいだった。
頭痛は、いつのまにか治まっていた。
受験まで、あと少し。
キーンコーンカーン・・
「「うわっ」」
突然鳴り響いた轟音に、二人は思わず耳を塞いだ。スピーカーは、屋上出入り口の壁、即ち丁度二人の頭上に位置していた。
「びびったーぁ」
轟音も止んで安堵のため息をつく由美とはうらはらに、明は声を張り上げた。
「ヤベ、本鈴だ!」
まさに、先程の音は生徒の束の間の休息を断ち切る残酷な合図であった。
由美は一瞬分からずキョトンとしたが、校舎の時計を見て理解した。
「あ・・・」
「何してんだ、ホレ行くぞ!」
「ぅわ・」
コートの袖を引かれ、視界が揺れた。倒れまいと明の袖を掴み返して踏ん張る。その反動で今度はむこうが揺らぎ、明がダンと足をついた。
ビタリと動きが止まり、二人はお互いの目を見つめた状態で固まった。
沈黙が流れた。明の顔は引きつったままだ。それをじっと見ながら、由美が口を開いた。
「・・・サボろっか」
「・・・は?」
明は一瞬戻った顔をまた引きつらせた。
「サボろう」
今度はハッキリ言った。
「冗談言うなよ」
「だいじょぶよ一回くらい」
「・・・でも数学だぜ」
「だから今行ったら権田原に怒られんじゃん」
「・・・でも今の時期の復習は大事って・・・」
「いっぺんやったんだからなんとかなるって」
「でも・・・」
明の表情は不安一色だ。嫌だ嫌だと言いながら、どうして皆こうも“受験生”になってしまうのだろう。
「ねェいいじゃない、アっくん」
懐かしい言い方をしてみた。明の顔が少し変わった。
由美は、何故だか少し楽しかった。それは、小さい頃にイタズラを思いついた時の気分に似ていた。久しぶりに使った言葉にも、違和感は感じなかった。
「・・・んー・・・」
明のくぐもった声を、由美は了解の返事と取った。
今なら、頭痛を伴わずに、あの人の事も聞けそうな気がした。
「―――そういえばさ。」
由美は、思い切ってそう始める。
「ん?」
「あの子って・・・高校どこなの?」
そう言うと、明の顔が見る間に赤くなっていくのがわかる。
―――純粋だよね・・・。
呆れと、ほんの少しの羨ましさを込めて、由美はいつもそう思う。
「なんっ・・・だよ、いきなり。」
「あれえ知らないの??」
真っ赤になって慌てる明を見ているうちに由美はおもしろくなってきて、
さらに言葉を続ける。
「んなわけないか。皆に聞きまわってたもんね♪明。」
「そう・・・だよ悪いかよっ。」
「ううん?悪くない。いいんじゃないの??」
「・・・・。」
明はしばらく黙って、少し考えるようにして。
「・・・・・・N女子。」
「え??」
呟くようにぼそっと言った明の言葉が聞き取れなくて、由美は聞き返す。
「N女子校だって。」
今度は、明は思い切ったようにきっぱりと言った。
「へえ・・・頭良いんだ。相当偏差値高かったよね??あそこ。」
感心したように由美は言う。実は由美も、夏の頃まで志望していた学校。
成績がどうしても足りなくて、あえなく断念したのだったが。
――――そういえば、明の高校とN女子って、目と鼻の先だっけ・・・。
明は、もしかしたら、そのためにあの学校を志望したのかもしれない。
「―――ま、私には関係ないけどさ・・・・。」
その声は、風に流されて殆んど聞き取れなくて。
「ん?何か言ったか?」
「ううん。―――そろそろ教室戻ろっか。」
ふと時計を見ると、とっくに一時間が過ぎようとしていた。
「結局一時間さぼっちゃったね。」
「・・・お前のせいでな。」
「いい息抜きになったでしょ?」
笑って軽口を叩きながら、由美は明と共に、あの空気が渦まく、教室へ戻って行く。
―――きっと、さっきよりもずっと頭痛は酷くなるだろうけれど。
短い休み時間特有の、騒がしく、同時にどこか慌しい空気の中、由美と明は教室に滑り込む。
「あれ、由美!何処行ってたの!権田原怒ってたよ?」
「明、サボりかよ?受験生が不良になるなっての。」
それぞれの友達から声を掛けられて、『あっくんとゆみちゃん』は、『明と由美』に戻る。
それでも、クラスメイトからは好奇にあふれた視線をぶつけられて、由美は頭を抱えたくなった。
いつから、クラスがこんなに敵になったのだろう。
いや、敵ではない。敵ではないけれど、味方でもない。
他人というにはあまりに干渉してくる、そんな集団。
遮断するように机に突っ伏していると、高く可愛らしい、そしていま何よりも聞きたくはなかった声が、自分の名を呼んだ。
「・・・なぁに?りんちゃん。」
ゆっくりと顔を上げると、机の前にはセミロングの、整った顔立ちの女の子が立っていた。
「今日、一緒帰らない?」
「・・・え?いいけど・・・?」
りんちゃん、こと新崎花梨は、同じ小学校の卒業生だった。
かといってタイプも違ったためそんなに仲の良いわけでもなく、敵対しているわけでもない、普通の友達といったところだろう。
「良かった。じゃあ放課後ね。」
声よりもさらに高くチャイムがなり、由美は慌てて社会の教科書を取り出す。
社会は未だに範囲の終わっていない教科で、教師も範囲を終えるのに躍起になっているためにかかる事も無く、思考に耽るには最適な時間だった。
出来るなら、この社会の時間がずっと続けばよい。
少なくとも、放課後にはなって欲しくない。
『新崎って、可愛いと思うんだけど・・・お前どう思う?』
明からそう聞かれたのは、たしかもう1年も前。
聞かれて、なんと答えたかは覚えていない。
ただ覚えている事は、足元がゆれるような、錯覚。
『ねぇ、明くんと由美ちゃんって付き合ってるの?』
半年くらい前に、花梨と仲の良い子から聞かれた事。
そう聞かれるのは慣れていたから、だから聞かれた事自体には驚きもせずに、少し感情を押さえながら、笑って答えた。
『まさか、幼馴染だよ。』
花梨が一緒に帰ろうと誘ったのは、さっきの数学だった時間が気になるからだろう。
―――良かったじゃん、明。
高く高く、チャイムが鳴った。
言った。
言ってしまった。
まだ、心臓がばくばく言っている。
変に思われなかっただろうか。何処か可笑しくは無かっただろうか。いや寧ろ、このやたらばくばく言っている心臓の音が、相手に届きはしなかっただろうか。
今更火照ってくる頬に手を当てながら、花梨はぐるぐるとそんな思考を続けていた。
「ついに。」そんな気分だった。ついに、言ってしまった。言葉は取り消せないし時間は戻らない。もう、言ってしまったのだ。
そう思うと、恐怖感と同時に不思議な満足感が花梨の中を満たしていく。
元来消極的で控えめな――言わばお嬢様のような(まぁこれは事実でもあった、花梨の家はこの辺でも有名な所謂地主という奴だったので。)花梨にとって、それは酷く勇気の要ることであったのだ。
それでも、そんな花梨に行動を起こさせるほどに――その人は、花梨の中で大きな存在だった。その人は、素敵で、格好良くて、そして…そして、酷く優しく見えた。何時からだったか、どうしてだかなんて思い出せない。ただ、何時からか、花梨はその人に憧れていたのだ。尊敬、と言い換えてもいいかもしれない。ともかくそれくらいに大きな好意を…花梨はその人に抱いていた。
だから、高校が別れてしまう前に―――…。
花梨の思考を断ち切るように、チャイムが鳴った。
放課後に、なった。
いつもは授業が終わると近くの席の友人としゃべっている花梨だが、今日は由美の席まで線でも引いてあるかのように、まっすぐにここにやってきた。
机の前でぴたっ、と止まると、そのまま何も言わずにじっと由美の手元を見ている。
ゆっくりと、覚悟を決めるように、ペンケースを鞄に仕舞いこむと、由美は立ち上がって花梨に声をかけた。
「行こうか」
そして今、2人は家路を辿っている。
花梨は依然として黙ったままだ。
彼女は、話があるはずである。
その内容は大体予想がつく。
ただ、それは花梨の方から言い出さなければならない。
由美は何も知らない、何も気にかけていないというふうに、ただ前方を見据えて歩いている。
前進あるのみ。負けるな自分。
余計なお節介。幼馴染に対する勝手な支配欲。わかってはいるが、前をみて歩かぬ者に大事な幼馴染を渡すわけにはいかないのだ。
渡せないならいっそのこと自分が、などという気持ちを懐いていたわけではなかったけれど…。
「あー…あのっ」
そんな、明らかに裏返った声と共に、由美のマフラーがぐいっと掴まれた。
途端に由美は気道を塞がれ、ぐほっとむせ込んだ。
それにも気付かないらしくマフラーを掴んだまま灰色のコンクリートと睨めっこをしている花梨を目にとめて、由美は自分でやっとこマフラーを緩める。
「けほっ、…何?りんちゃん」
「あのね…」
花梨の顔は真っ赤に上気している。
でも、その顔は真剣だった。
真剣すぎて、由美は一瞬自分が告白されるのではないかと阿呆なことを思った。
「……さっき…数学の時間いなかったよね…」
「うん」
由美は、答えた。
「…っ、…、、橘田くん…も」
橘田、きった、というのは明の名字だ。
「橘田くんも…いなかった」
「そういえばね」
だから?その先は?
貴方は何を言いたいの?先を言ってくれなければわからないわ?
嗚呼、自分がこんなにも意地悪だったとは。
花梨は、ぎゅ、と由美のマフラーを握り締めた。
「私、好きなの」
はっきした声で、はっきりと開いた目で、でも相変わらずコンクリートを睨みつけながら、花梨は言った。
皮肉にしかならないとわかっていても、「何も事情を知らない」由美は問い返す。
「誰が?」
「…由美ちゃんが」
「!?」
「あっ、嘘、嘘よ」
不覚ながらも、どきっとした。
花梨は慌てて、否定を示すために首を横に振った。
可愛らしく結ばれたマフラーのすそが、大きくゆれる。
「あの、由美ちゃんも好きよ。でも、あのね…」
沈黙。
由美には言葉の続きがわかっている。
でも、判っていない筈なのだ。
ただの、『橘田君の幼馴染』なんだから。
ただ巻かれただけの自分のマフラーを、由美は何故か強く意識した。
「あのね…。」
もう一度呟いて、花梨は自分のマフラーに顔をうずめるようにする。
可愛らしい、薄ピンクのロングマフラー。
綺麗にセットされている髪の毛や、真っ白のダッフルコートや、鞄についた女の子らしいマスコットや、とにかく、花梨を取り巻いているもの全ては、花梨という人に、似合っていた。
「あのね、あの。」
そうはっきり言って、花梨は由美を見つめた。
その表情は、まさに必死というべきものだった。
自分が身につけている、灰色のロングコートや、無造作に巻かれたマフラーや、使い込まれた鞄、あまり手入れしているとは言いがたい髪の毛、それらは自分には結構似合っていると、思う。
でも。
「あのね、私、橘田君が好きなの。」
言った途端、花梨は真っ赤になってしまう。
由美は、ぼんやりと、りんちゃんかわいいなぁ、などと思ってしまう。
「そうなんだ。」
知ってたよ。
可愛い貴女が、あいつの事を好きな事。
「だから、あの…」
また花梨は口ごもる。
「だから?」
知ってるよ。
あいつが、可愛い貴女を好きな事。
「あの、それだけ!ごめんね、私先帰る!!」
花梨は言い残すと、パッと走り去ってしまった。
由美はぼんやり、ああやっぱり、りんちゃんは可愛いな、と考える。
自分は可愛くはないから。
そう思うから。
明は固まっていた。
人通りの少ない夕方の住宅地、遠く聴こえる大通りで車の行き来する音。
知らなかった。
寄りかかったブロック塀の、外気にさらされた温度が、学生服ごしに伝わってくる。
喜ぶべきことなのに。
ただただ、驚いていた。
どんよりした上空に冷たい風が吹き、足元を乾ききった枯葉がカラカラと……
「…何してんの」
気付けば目の前に由美が居た。
「ぅおわぁっ!!」
明は飛び上がり、思わず塀に張り付いた。
「な、何で戻ってくんだよっ」
「いやちょっと本屋に寄ろうと……って」
しまった。墓穴掘った。
「…聞いてたの?」
「…うん…」
「どらへんから?」
「お前らが立ち止まった辺り、から…」
「全部じゃん」
「う……っ」
明はまっすぐ顔を向けられないでいたが、由美の目が冷たくなっていることは嫌でも分かった。
自分だって、こんなストーカーまがいな行為をしたくてしたわけではない。この一本の公共な道が、ただ単に“明の帰り道”だっただけだ。
まあ正直な話、教室を出て行く二人の後姿が、全く気にならなかったと言えば嘘になるが……。
「良かったじゃんよ」
由美がスカンと明るい声で言った。
「へ?」
拍子抜けして、間抜けな返事をしてしまう。
「正直な話さー、私どっちにも気付いてたんだよね。てかアンタ等だけ知らなかったみたいな。じれったくてしょうがなかったからさ、ホント揃って鈍いんだから」
ベラベラと喋る由美に、戸惑いながらモゴモゴと答える。
「だって…思わねーよ、そんな調子良く両思いとか…」
「そんなの雰囲気でじゃない?気にされるとコッチも気になるみたいな。アンタあの子と喋る時、変に意識してたんじゃないの?」
ニヤニヤ顔で言われた言葉に、顔が火照るが否定できない。
「…そんなモンかあ?」
「そんなモンよ」
実際そんなモノだ。
「素直に喜べ!」
両肩をバンと叩かれる。
「ん…でもなんかビックリの方がでけーよ」
一瞬キョトンと見つめられるが、落ち着いた笑顔で答えが返ってきた。
「…それだけアンタが本気だってことでしょ」
「一緒帰るの久しぶりねー、アっくん」
二、三歩先を行く由美が笑いながら振り返る。
「ソレ今日二回目…どーしたよ」
「別にィ。この時期誰でも現実逃避したくなんのよ」
「ハハ、受験を、か」
まったくだ、と同意する。
「うん、それもかな…」
カラカラと笑う明は、真っ直ぐと前を見た、でもどこか遠くを見る由美の目に、気が付かなかった。
日は、あっというまに過ぎていって。
今日、由美たちは卒業式を迎えようとしていた。
「由美っ写真撮ろうよっ」
退屈な証書授与式とか、お決まりの式辞とかで組まれた式を終えて外に出て背伸びしていると、後ろからクラスメイトの声がした。
式の後の、何時の時代も定番の撮影会。
「ああ・・・うん」
由美は答えて、その子たちの輪の中に入った。
五、六枚撮った頃だろう、ふと見覚えのあるマフラーを人ごみの中に見つけた気がして由美はそちらのほうへ目をやる。―――新崎花梨。
その二人は、三月に入ってからもあいかわらずで。
由美は見ていて、苛立ちを頭痛ともに募らせていた。
「何で・・・人は伝えたい事を伝えられないんだろうねえ?
後悔するって・・・分かってるのに。」
由美は、自分に言い聞かすようにそう呟いた。
「え?」
すぐ隣に居たクラスメイトが、由美の言葉を聴きとめたらしかった。
「ううん、何でもない。・・・ねえ、ちょっと抜けるわ私」
「え?・・・うん」
そう言って、由美は人ごみを掻き分けてピンクのマフラーに近づいていった。
「――――りんちゃん。」
由美は、意を決して彼女に声を掛けた。
「三月ってもまだ寒いよなー」
そう、どこか浮かれた口調の明の後ろから、由美は歩いていく。
別に、一緒に帰ろうなどと思っていた訳ではない。
花梨に声を掛けてから由美はしばらくして校門を出た。そこに、たまたま帰る途中なのであろう明がいたのだ。
―――あれ、由美じゃん。
振り向いた笑顔が、なぜだか眩しかった。
「明の格好が寒いんだよ」
「そうか?どうもコートとか苦手でさ」
「イヤ問題はそこじゃなくてさ」
由美は明の格好に目をやる。肩に学ランをかけただけの。
「ラフっぽく決めようと思って・・・。格好良いっしょ?」
「いや全然」
スパッと、由美は切り捨てる。
うわキツイと、明は笑いながら前を歩いていく。
―――浮かれすぎ。
まあ当たり前か、と由美はため息をつく。
「そういえばさ、」
明は改まったように由美に聞く。
「由美って結局高校どこ受けたん?合格はしただろうけど」
ちなみに明は、余裕で志望校に合格している。
「ああ・・・ハイ」
由美は、鞄に持っていた合格証書を明に差し出す。
―――うけっとた、明の顔色が少し変わった。
「・・・由美」
証書に書かれた、その学校。
「お前・・・県外受けてたんだ」
「うん。気付かなかったでしょ?」
あっけらかんと、由美は言う。
「・・・うん。ビックリした。だって・・・県内にだって学校一杯あるだろ?なんで県外なん?」
「・・・寂しい?」
「寂しい」
冗談のつもりで言った問いに即答で返されて、由美は面食らう。
「なんかさ・・・県外に行けば自分の世界が広がるような気がしない?」
由美は、それでも必死で思いついた理由を口にする。
―――本当の理由なんて、教えない。
「へえ・・・なんか」
「・・・・何?」
「由美は格好良いよな」
しみじみと明が言うので、由美はずる、と肩から力が抜けた。
「きっとさ、由美はモテるよ?高校言ったらさ」
その言葉に、さすがに由美は固まる。
「へえ・・・」
「信じてねえな?!ホントだって。」
必死でわめいてる明を白けた目で見て、ふと由美はある事に気付いた。
「・・・・・良かったじゃん、明」
へっ?と戸惑う明に、由美は明の学ランを指差す。
―――おそらく、いや確実に花梨にあげたのだろう、その第二ボタンがあった場所。
「・・・・っこれはっ」
赤くなって、あせあせと明は言う。
「・・・っ由美のおかげだよ」
「はっ?」
由美は思わず聞き返す。
「だから、うまくいったのは由美のおかげだよ。・・・あんがとな。」
へへ、と照れ笑いをする明を見て、由美はブチッ、と何かが切れる音を聞いた。
「―――――――っこのニブっ!!!」
上を向いて、大声で叫んだ由美を、明は驚いて見返す。
「・・・・ゆ、由美っ??」
はーーーっ・・・と、大きく息をついて、由美は何か吹っ切れたように明の方へ向き直る。
「―――明。お願いがあるんだけど」
「はいっ!?」
由美はぐいっ、と明の方を掴んで引き寄せる。
「な・・・って、由美!!」
「――コレ、頂戴♪」
「学ランなんて何に使うんだよ?!・・・って待てって!」
明の言葉には耳を貸さずに、由美はいつのまにか明を追い越して、学ランってあったかいんだねーとかなんとかいいながら飛ぶように歩いていく。
「・・・ったく・・」
諦めた様に明はため息をついて、由美の後をついていく。
もう、二人の家まで少しだった。
「・・・ねえ、明。」
「ん――?」
「今まで15年間・・・かな?一緒に居たの。」
「んあ?まあ・・そんくらいか。」
「明と一緒に居れて、楽しかったよ。・・あんがとね。」
改まったその言葉に、明は少し驚いたようだったけど。
「・・・・俺も。」
それで由美はほんの少し嬉しくなって、足取りを軽くした。
しばらくして、由美はもう自分の家へ続く角に差し掛かった事に気付いて、明にじゃあね、と声を掛けた。
「あ、由美!」
明から声を掛けられて、由美は振り向く。
「またな!!」
本当に、いつものように、明が言うから。
「―――ばいばい、だよ。」
笑顔で。たぶん笑顔で、由美はそう、答えた。
それから由美は前に向き直って、まっすぐ家へ歩いていった。
『世の中狭い』とか、よく言うけれど。
やっぱり世の中は広いから。
遠くで暮らす事になる私たちが会う可能性は、ほとんど無いだろう。
それでも。
『―――またな。』
―――――また、あえる日が、・・・・来るのだろうか。
END
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